昭和の洋館~

岡崎市にこのような洋館があるとは。。。

友人に教えられて行ってみました。

本多忠次(1896~1999)が昭和7年に東京・世田谷の敷地7100m2内に建てた住宅と壁泉の一部を移築復元したものです。
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1階西側には車寄せをつけた玄関が。
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本多忠次とは家康の家臣本多忠勝を始祖とする旧岡崎藩主本多家の子孫です。
忠次の父である本多家の十七代目・忠敬は宮内省式部官・貴族院議員を歴任され。

岡崎の城址公園整備や教育振興に貢献した人物で、その次男として生まれる。
学習院を経て東京帝大で学び新しい時代を生きた新世代です。

忠次は敷地鑑定から建築基本設計を自分自身で行い36歳の時一年の期間をかけて完成させたのがこの住宅です。
1999年103歳で亡くなるまで住んでおられたそうです。

家族の方が岡崎市に寄付され平成24年7月に東岡崎公園の見晴らしの良い高台に移築されました。
無料で見学できボランティアの方が親切に説明してくださいました。

まず玄関を入ると団欒室。ほとんどの家具は建築当初のオーダーメイド。
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食堂です。重厚なテーブルセット。この部屋の窓の上にはステンドグラスも。
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ステンドグラスがあちらこちらに。
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お茶室はアールデコ様式でモダンです。
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浴室はモザイクタイルとステンドグラスで。なぜか二つも。トイレは便座スタイルです。
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銀色を基調としたモダンな寝室 と 忠次の書斎。  ドーム型の出窓はあこがれです。
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外観は洋風ですが和洋折衷式が採用されプライバシーを高めた現在の住宅様式の先駆けと言えます。

この建物は戦時中昭和20年7月に日本政府の機関である軍需省の「分室」として貸し出されたが、終戦を迎えてもその後6年間GHQに接収されました。

戦後の日本においてGHQは上級将校らの住居として利用可能な住宅を要求しており戦禍に遭わなかった和洋折衷住宅の本多邸も対象になったのです。


移築費用も維持費も相当のようです。さすが岡崎市、太っ腹が大きいと感慨深く後にしました。





                    ~~~~~~~~~~~~~~

少し前になりますが名古屋市の千種小劇場でチャリティーコンサートがありました。
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「YOU & I  友・愛」  

最初は朗読でした。福島の被災猫を引き取った作者大塚さんが福島の人たちと日本人みんなが共通に抱える問題を、猫の目を通して語られていました。

急に居なくなった家族のことや東京の見ず知らずのところへ引き取られ最後は家族の手元に。。。

6人の朗読会の方達の語らいは胸にジーンと迫り、おもいが十分伝わってきました。

他にピアノ演奏やアコーディオン演奏も。

ここの舞台は擂り鉢状になって中央が八角形の舞台です。
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最後は女性コーラスの合唱。

そしてみんなで釜石小学校校歌で幕です。もちろん知りません。
この校歌の作詞は井上ひさしさんでした。
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この日は月恒例のハイキングでしたがこちらを選んで参加しました。
良き日でした。


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この記事へのコメント

2014年10月24日 18:40
今晩は。そういう歴史のあるお家なのですね。驚きました。
しかし、すごい!!
2014年10月24日 23:56
明治村ならぬ昭和村というのもあるとか?
昔の洋館って凝ってますね。
いいものは歴史建造物として残してほしいものですね♪

千草小劇場、、、、うちの前のお宅のツタ、負けていません(笑)
まめにおでかけになってますね~☆

井上さん、市川に縁があって、我が家のすぐそばに住んでいらしたそうです♪
岩手?仙台?のご出身でしたよね♪
2014年10月25日 17:01
此度(ひろし)から名前を替えました。
世田谷区の成城で生まれた街。そして6年間だけ住んでいました。
旧東京営林局の官舎。
昭和の洋館は威厳が有りますね。亡き父も同じく東京帝国大学卒業で
宮内省(旧帝室)林野局(現林野庁)の職員でした。
チャリティーコンサートでは福島の被災状況並び音楽コンサート。
ハイカラさんも心がジ~ンと成った事でしょう。
みっきい
2014年10月25日 20:16
東岡崎公園の見晴らしの良い高台に移築された、本多邸ですか!
すばらしいですね!チャンスがあれば見に行きたいものです。
千種小劇場でのチャリティーコンサート「友・愛」、心に響くものが伝わったようですね!
千種小劇場の舞台は擂り鉢状になって中央が八角形の舞台になっているんですか?ナゴヤドームへ行く時に通る、あの蔦がいっぱいの劇場でしょうか。
最後のコーラスは「釜石小学校校歌」を歌われたのですか?
井上ひさし作詞、宇野誠一郎作曲の校歌を歌ったことがありますよ。


南十字星
2014年10月26日 09:02
行き当たりばったりさん、おはようございます。
明治、昭和時代の洋風館は最高の建築技術で創られているので残したいものですね。
家康の家臣の末裔にあたる子孫の邸宅が東京から移築されたと聞き訪ねてみました。
大切に保存したいですね。

南十字星
2014年10月26日 09:13
花帆さん、おはようございます。
はい、明治村も昭和村もあります。
東京上野の岩崎邸は問題にもならないほど立派な建造物で驚いた記憶があります。

そういえばツタのお家、、、覚えています。
この会館も負けていませんでしたね。
井上さん、お近くにお住まいでしたか。
あの方も相当変わっておられたとか。
岩手の出身ではないでしょうか。
こまつ座は娘さんが主宰しておられます。

南十字星
2014年10月26日 09:29
成城ヒロさん、おはようございます。
お久しぶりですね。
世田谷の成城でお生まれになられたお坊ちゃまですね。
私のような田舎者には当時の成城は夢のようでした(今でも)。

このチャリティーコンサート、よかったですよ。
原爆と原発を反対するコンサートでした。
南十字星
2014年10月26日 09:40
みっきいさん、おはようございます。
そうなんです。2年前に移築されました。
ここまでに辿り着くのに10年かかったそうです。
千種小劇場は初めてです。ツタで覆われている建物です。
八角形の舞台も50cmほど下がるのです。
釜石校歌も作詞井上ひさしさん、作曲宇野誠一郎さんです。
じゃーこの校歌も歌われたのですね。
みっきさんも幅広く歌っておられますね。
やさしい詩でした。


2014年10月26日 16:19
~~~ヾ(^∇^)こんにちはー♪。
明治時代にできた洋館が、幾多の歴史の中でもこのような姿を残してくれている事は素晴らしい事ですね。
そこに生きた人を、回顧するのもいいものです。
2014年10月27日 14:30
素晴らしい!!
ステンドグラスの窓に憧れます
チャリティーコンサート
なかなか参加で出来ません
お話やコーラスをお聴きになることは
とても素敵なことだと思います
南十字星
2014年10月29日 21:09
tomi-さん、こんばんは。
明治、大正、昭和時代の洋館はここ愛知県明治村に移築され、大切に保存されています。映画、ドラマの撮影にも利用されています。
この建物に住んでいた人の生活も想像できますね。
南十字星
2014年10月29日 21:17
ジュンさん、こんばんは。
ジュンさんもステンドグラスに似たステキな作品を製作されていますね。
窓にある部屋はステキでしょうね。
残念ながら我が家は似合う部屋がありません。
このコンサートは出演されている方からのお誘いでした。
でなければ気がつきません。
少しでもお役に立てばと思いました。

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